ジオのブログ

しょっぱいものが好き

週報 2026-3週目

よいしょって言うための気合溜めをする。ターンエンド

今週見たもの読んだもの

『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』

www.evangelion.jp

前日譚のEVANGELION:3.0(-46h)劇場版とEVANGELION:3.0(-120min.)が同時上映で流れていた。復刻上映ゆえに特典映像も全部見れるのは嬉しいところ。

ついに問題作が来たな、と思いつつ見に行ったが面白かったですね。破から間を置かずに見れたので割とシンジくんの心情が見えやすく、連続公開の良さがあった上映だった。

あらすじは世界と綾波を天秤に載せて、シンジは綾波を選んだ。結果、世界はニアサードインパクトで赤く染まり、14年ぶりに目覚めたシンジは早速拘束されてしまう。そこで謎の少年渚カヲルと遭遇する。カヲルとの交流で立ち直ったシンジは、ニアサードインパクトから世界を元に戻すために再度エヴァに搭乗する。

Qは観客を置き去りして終幕するが、それは旧劇を語りなおそうとした制作陣の律義さが原因じゃないかとジオは感じている。精神が限界になったシンジや赤く荒廃した世界など旧劇との共通点は多いものの、その精神描写を省いていることで、結果だけが映像として出力され、シンジは訳もわからないまま振り回され、存在を認めてもらおうと奔走して友人のカヲルを失う、空回りした人間になってしまった。

では、Qは全て空回りになった空虚な作品なのかと言われたら、否定できない。そうかもしれない。Qの公開は旧劇から大体14年だ*1。Qの登場人物も全員年を取っている。管理職になったマヤやアオバ、ゲンドウみたいに押し黙るミサト、そして次の世代の北上ミドリや鈴原サクラが登場し、彼らの価値観で話している。彼らの登場は第三者の登場であり、セカイ系が排除しつづけていた「社会」を導入しているようにも感じる。(「主人公達の行動・心理・関係性が、本来ある筈の中間領域である『社会』をすっとばして、そのまま上位領域たる『世界』の在り様や命運を決定する」pixiv百科事典「セカイ系」から引用(2026/3/1時点))
旧劇のテーゼ「現実に帰れ」が、今ままでエヴァとは違ったベクトルで観客を刺しに来ている。我々と同じようにシンジは世界を変えられないまま残酷にあり続ける。シンエヴァでは現実の異なる側面がやって来るのだが、それはまた今度に。

畠山丑雄「叫び」

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174回芥川賞の受賞作。芥川賞は時世を象徴する作品が受賞しやすく、万博関連の作品が受賞したことで2025年といえば万博の年だったな、という実感がジオの懐に落ち込んだ。

茨木市の職員として生活する早野は、生活保護の先生とよばれる老人から薫陶を受け、郷土史が彼の趣味にな汰。趣味を続けているうちに一人の女性しおりと交友関係ができ、彼女と万博へデートへ行くことになる。

主人公の舞台は2025年現代が舞台だ。しかし、壮大な歴史のエピソードが詳細に説明されていくうちに、1930年代の青年川又幹朗と密接にかかわり、主人公へ憑依していく。過去と現代が一つに溶け合ってような語り口が面白かった作品だった。

 

今週の感想

ジム

友人の誘いでジムへ加入。こういう機会があるだけで嬉しいものですね。

1月中頃に加入したのでもう1か月経つが、早くもジムねぇ、、、になってきている。なんか在籍してるだけで基礎代謝+1000calとかなったらいいな。自分の怠惰さを直視してる今この時でございますよ。*2

ジム……なんていうか、こう手触りが面白いな、という部分がある。

例えば実存的な部分だったり、存在的な部分だったり。
実存部分は自分の肉体の確かさだ、過去のブログで筋肉通があると実存的な悩みがなくなると書いたが、実際スクワットで下半身が猛烈に痛い時は何かを気にする余裕なんてない、変な処理ばかりしたがる自分の脳には負担をかけた方がいい。
存在部分については、ウェイトの存在感の確かさだ。人類なんて少し時間がたてば老いさらばえる。一方、ダンベルやシャフトには数百年経ってもそのままであり続ける確かさがある。そして重量が定量的なのもいい。5kg10kgと、行儀よく存在している感がある、自分もこれぐらいきちんと存在したいっすね~と、ついつい?思ってしまう*3

*1:本当は15年

*2:思えばソシャゲも続けられないあたりからも自分の継続性に難アリだよな。継続性って奴を手に入れたいものです……

*3:もし自分家の墓の重量が、ちょうど100kgとかキリのいい数字だったら面白くないですか。ジオは大ウケしちゃいそうだな

週報 2026-2週目

パソコンのモニターがいきなりお釈迦になってしまったので、どうにもならない日々が続いてました。修理までにモバイルモニターを試しに買ってみましたが、これも中々悪くないね……

今週見たもの読んだもの

迷宮のしおり

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かなりトンチキな映画だったな~。ほぼ勢いだけで構成された映画だったが、映画館ならでは大きな画面のライブ感があった作品でもあった。自分はトンチキをかます作品が好きな部類なので、なんだかんだ面白かったなと思いながら見てました。

あらすじは、ある日ネットの人格に支配され、自分はネット世界に幽閉されてしまった主人公のしおり。一億「いいね」が集まって、ネット人格が乗っ取られる前に自分を取り戻す作品。

ネットと現実を入れ替えようとする悪役の思想だったりと、通信速度が向上することで脳とどんどん接続できるようになったりと世界観はしっかり建付けた割に、シナリオの進みがとても悪い。例えば、何度もスマホの充電切れのアクシデントが起きたり、ハッピーエンドも取って付けた恋愛要素で終了したりと、本当に勢いでなんとかしているな感が強かった。

まぁ、そもそも予告を観てわかる通り、メインキャラのCVが芸能人や芸人だったり、の実際に販売されているLINEスタンプを作中に多数使用していたりと、ノイズになる要素が多かった。が、このノイズのおかげでリアリティラインが大きく引き下がってトンチキが通りやすかったなと思いましたね。ジャンクフードに期待するような大味があった。
途中、今までの文脈に関係なく敵役が巨大ロボに乗る戦闘シーン(ミサイルの回避シーンのクオリティはとても高い)もあって、本当にやりたい放題しているな……と思ったが、。見た後に監督がマクロスシリーズの監督だと知って「監督が本当にやりたかったのはこのシーンなんだろうな」とも思った。

Z.A.T.O. // I Love the World and Everything In It

store.steampowered.com

陰鬱な少女が主人公の、「Milk inside~」や「Lain」の系譜にあたる海外のノベルゲーム。5時間で終了するほどの短めな作品だが、とても良かったのでオススメ*1。(回り道なしの一本道のノベルゲームは、本来の強みたるルート分岐を用意せずに完成させた作品なので、かなり硬派だなと思う)

ソ連の閉鎖都市の中にて、クラスメイトからよくイジられてた主人公のアーシャは同じクラスのイーラに良く助けられていた。粗野ながらも優しさを持つイーラに友達になりたいと思いを募らせていたがある日失踪してしまう。彼女を探していく途中で世界の真相を知ってしまう事になるが……というあらすじ。

最初はシスターフッドを思わせるようなイーラとアーシャの関係だったが、物語中盤から世界とアーシャの関係を叙述していくセカイ系へと進行方向を変えて進行していく。特に物語終盤の*2主人公の思考・意思が緻密に描かれているおかげで、この転換も面白く読むことができた。

フリーかつ日本語MODも上質で、オススメなので是非。

 

今週の感想

カレーライス

ジオ家ではカレーライスに時々缶詰のパイナップルが乗って出てくる。パイナップルの登場はまちまちで、年に1回レベルの時もあるが家族全員当然のように食べる。
ジオも「カレーにパインは全然合うけどな」と思いながら食べているのだが、辛さと甘さの自己主張が激しいコンビを、自分で配合を変えながら食べられる部分にこのカレーパインに革命じみた要素を感じる。が、結局のところ別々に食べてしまっている気もする。

びっくりドンキーでパインバーグディッシュを注文するたびに友人たちから、とんでもないを食べる目をされるときもあるけど、アレは普通に美味しいっスよ、マジで。¥

*1:自分はやはりアンニュイな少女が好きなだけかもしれない

*2:消える世界の世界へアーシャが語り掛けるシーンが良かったですね。

週報 2026-1週目

2026年……開始!(ピ~~~~~~~~ッ🪈)

今週見たもの読んだもの

爆弾

wwws.warnerbros.co.jp

呉勝浩の小説「爆弾」の映画化作品。
硬質なミステリ作品がそのまま映像化した傑作。めちゃくちゃ面白かった。露悪的かつゴアな作風で、人に勧めづらい部分も多いがそれを差し引いても面白さが上回るった。こんな名作を元旦から見れて2026年は幸先がいい。

あらすじは、酒屋で暴れていた所を取り押さえられたスズキタゴサクは、取調室で「自分は霊感がある。事件を当てて尽力するから見逃してほしい」と提案する。スズキタゴサクの予言は次々と当たり被害規模もどんどん大きくなっていき、警察と東京は混乱の渦に巻き込まれていく。といったような話。

なんといっても佐藤二朗の怪演がものすごかった。ふだん三枚目をやっている役者が狂言回しをすると、真意の読めなさがそのまま恐ろしさに繋がっていた。
まあ、当然ながらスズキタゴサクの霊感はインチキであり、全ての爆破事件を計画して捜査一課の刑事を次々と手玉に取っていく。スズキタゴサクの霊感はクイズのように言葉遊びを絡めて警察に出題するが、どれも取調室で完結する。そこに「論理ゲームとしてのミステリ」があって良かったですね。スズキタゴサクの凶行は既に計画された後というのもミステリでいう「フェア」さがある。
物語の後半まではのらりくらりとしたスズキタゴサクの立ち回りに、なぜ彼が犯行の理由すらも分からずに進行していくが、ある人物の登場で一気に動機がわかっていく。世の中への諦観や怒りの悪意が爆発してしまったスズキタゴサクと、世の中は理不尽であると理解しつつも限界で踏みとどまっている刑事との対決が綺麗な対比になっていて良かったですね。

へるしーへありーすけありー

houbunsha.co.jp

好きなマンガが完結してしまったので…… 2巻で完結なんて短すぎる気もするが、きらら作品ではよくあるパターンらしく仕方ないかとつぶやいて半ば納得している。ううーん。登場の多寡で美少女の価値で変わる訳があるまい……そも美少女の存在は永遠なのだから、一度登場した時点で十分すぎるじゃないかな。むにゃむにゃ

キャラも増えてきてこれから色々物語ができそうだったところで終了してしまって残念だった。

超絶不健康な芸大生の七草は血を吸う妖怪(のぶすま)の少女ヨモギと出会う。魔力補給で吸った七草の血がマズすぎて健康を目指していく日常系。吸血鬼や八咫烏とかの妖怪はいるのにゴールが主人公が健康的になる事で、このゆるさがいかにもきららっぽいすね。

枠外の書き込みが多かったり、 自由な絵柄で緩急がついているのに情報量の多い漫画で、構成がかっちりしている4コマ漫画では中々ない読み味があって好きなんですよね。

ニコニコで途中公開されているんでぜひ。5話、10話がオススメです。

manga.nicovideo.jp

 

今週の感想

京都旅行

八坂神社・平安神宮清水寺へ。

初詣に京都に行きました。物凄い人数でビビっちゃいましたね。さすが京都。

ひと月前なので、感想が「人多すぎるのね~~」ぐらいしか覚えていないのですが、平安神宮の存在感は来るたびに感じますね。建築様式の違いもあって平安神宮は独特な造りになっているが。門や壁から1000年の歴史を感じさせる京都のど真ん中に建つ朱色の神社と大鳥居はやはり目立つ。

正月の屋台って色々あるけどハリケーンポテトのインパクトがデカくて気になっている。こういう見た目が強い出店って令和から流行しだした偏見があるけどハリケーンポテトは全然2000年代からあるらしい。昔の自分が見落としまくってたってコト? 一回食べてみたい。

週報 2025-52週目

年末に大作を読もうとし、その度に頓挫している。

今週見たもの読んだもの

エディントンへようこそ

a24jp.com

アリ・アスターの新作。この監督の作品を観ると、なんだか夢を見たような気になる。

あらすじは、コロナ禍でロックダウンした田舎町エディントンで起きた事件。マスクを着用していなかった老人が入店拒否されていたことに義憤を感じた保安官のジョーは市長選に立候補する。しかし、小さな町の選挙戦のはずがアメリカを焼くほどの大事件になってしまう……というもの。

陰謀論に熱中している母親やブラックライブスマターの活動をする若者など、SNSで分断された人々にはその人たちの正義があり、ジョーの選挙戦は思うようにいかない。現市長との闘争に敗れたジョーは現市長を射殺する。ジョーは保安官の食研を使って自ら捜査をし、部下のマイケルに罪を擦り付けようとするサスペンス要素も加わる。

最終的にブラックライブスマターの過激組織アンティファが、白人が選挙活動をしているといった理由で街を襲撃、大虐殺の憂き目にあう。ジョーはなんとか生き延び、市長選を勝ち上がるが、本人の四肢は動かすことも発話も出来ない重介護者になってしまった。結局、陰謀論の義母が市長代理として半ワクチンの政策を執っていたのだった。

コロナ禍が始まった時のあのピリピリしていた空気感を政治戦に持っていったところは面白かったが、中盤以降のジョーの正気も薄れていくようなストーリーテリングとはスレ違いを起こしていて微妙だったな。

アリ・アスター作品の夢か現実かわからなくなっていくような視聴体験は、ストーリーテリングだけでなく、アンティファの襲撃シーンにミニチュア特撮やCGを組み込んでいたりと意欲的に組み込んでいたのだが、社会派要素の強い「エディントンへようこそ」には合わなかった。
ただ、前々作の、主人公の強迫観念からクライシスが来て現実が揺らぐ「ボーはおそれている」にめちゃくちゃハマっていており、個人的にはデビュー作の「ミッド・サマー」より面白いと思っているので、まだ見ていない方は是非。

女の子の背骨

books.bunshun.jp

「ハンチバック」で芥川賞を受賞した市川沙央の新作。

男女差別主義者の哲学者ヴァイニンガーを信奉する女子院生が三島由紀夫の「憂国」と元にしたAVを撮影を行う中編小説「オフィーリア23号」と、筋肉の難病を患うガゼルと姉との関係性を描く短編小説「女の子の背骨」

ブログで取り上げておきながら、こういう事を書いてしまうのは情けないが文章の濃さに追いつけなかった。何かしらのテーマというか題材が見えないまま読み終わってしまい悔しさがあった本。
「オフィーリア23号」では、裕福な開業医一家の娘がAVを取ろうとする部分に、「ハンチバック」の主人公を思いだした(ハンチバックの主人公は身体に障害をもっており、生まれ変わったら高級娼婦になりたいと夢見ていた)が、途中挿入されるヴァイニンガーの哲学に知識が追いつけずに読み終えてしまった。耽美主義的な文章の優雅さが強く出た作品。
「女の子の背骨」は背骨が曲がってしまう難病を抱えた姉妹が主題で、比較的症状の軽い妹は家族に連れられてグアム旅行に行く作品。症状が重い姉ばかりが気遣われて、元気な振る舞いを(暗黙の裡に)強制される妹が「何でもいいから何かを撃ち殺したい」と願う作品。美文調の「オフィーリア23号」と比べると肩の力が抜いて書かれた作品で、本人に近い部分が見えた小説だった。

もっと現代文学に明るくなりたいと、文芸雑誌を定期購読しようと強く思う要因になった本だった。難しいジャンルではるものの、もっと何かしらが見えてくるだろ、という感覚があった。文芸雑誌でなにかオススメありますかね。やはり文芸群像? それともすばるがいいのかな?

 

今週の感想

奈良旅行

友人たちと奈良へ行きました。奈良は観光するところが奈良県庁付近でぎゅっと集まっているので色々見やすかったです。丁度1日で回れるぐらいの感じだったので良かったですね。

行ったのは興福寺東大寺、アニメショップ、焼肉。

興福寺では国宝展を見に行きました。興福寺の宗派だったりを知らずに国宝展に入ったのでビジュアルでしか仏像を語る事ができないが、5mを超す大きさの仏像を見たりした。仏像の目の細さと瞳孔の鋭さに冷ややかな恐ろしさを感じました。仏像に恐怖するのは「宝石の国」を読んだからなのだが、その冷たさにどこか安堵しているジオがいた。あとは興福寺五重塔が改築工事中で見れずに終了。見たかったわね。

東大寺では大仏のデカさに感心したり、柱の穴くぐりをした。
何度か書いた記憶があるけど大きいものをみると人類の営為に感心してしまう。大仏……デカかったです…… 柱の穴くぐりは30cm×30cmの幅の穴を潜る、というもの。この狭い穴を潜れると願うがかなうとかなんとか。自分も潜り抜ける事が出来て良かったですね。

あとは近鉄奈良駅近辺の商店街にアニメショップがあったのでそこにいったり、焼肉へいったり。そこでジオの自我に関わるほどの出来事が起きたのだが自分事なので脚注に書く。*1

*1:そしてジオの破壊。同僚以上社内恋愛未満の相手がいるらしい友人からの看破が厳しかった。「お前はいつまでオタクをやっているんだ。今日も東方アレンジも狩っていたな。ジオは現実からやってきた問題を、実存的・哲学的に処理しすぎている。社交的や人情的に対応してこなかったせいで、人間に興味を持てなくなっている。そんなままだと最期まで一人っきりだぞ。お前の思想、主義、趣味嗜好、その他全てを捨てて改めなければいけないぞ」とマジのご指摘が入ってしまった。ちょっと恋愛をしているからって簡単に言っていい火力なんかじゃない。これをマジで喰らってしまい、今年感じてきた2025年の実感・手ごたえが全て吹き飛んでしまった。ジオの2025年は0点になっちゃいそうです。

週報 2025-51週目

天に足を向けて寝る

今週の見たもの読んだもの

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破

www.evangelion.jp

月1エヴァの第4弾。例によって見に行きました。

ヱヴァシリーズの最高傑作。アクションとしてもヒューマンドラマとしても面白かったですね。やっぱり破が一番面白い。劇場で観ることができて良かったとつくづく思っている。

あらすじとしてはゼルエル戦までの大筋はアニメと概ね同様にアスカや加持が登場して進行する。終盤、最期ゼルエルに取り込まれた綾波を救うために初号機がガフの扉を開き、ニアサードインパクトを起こして終了する。

CGを多用したアクションはどこを切り取っても先進性に見え、サハクィエルゼルエル戦も迫力が物凄かった。手書きシーンと違和感なく見れたのはレンダリングにこだわっているからなんだろうな……

ヒューマンドラマについても「食事会」の流れはとても美しかった。海洋生態研究所でシンジが全員の弁当を用意してから、アスカやレイも料理を始める。その後レイは言動やシンジ、アスカ達を招待して食事会を開こうとする。しかし、エヴァ3号機の起動実験と重なって食事会は中止になってしまう。
海洋生態研究所で、肉は食べないとシンジの弁当を一度断ったレイが味噌汁の暖かさに感動して他者に食事を振る舞いたいと思うような素朴な感動や、食事会を成立させるために自ら3号機のパイロットに志願するアスカの気遣いだったりと、今までのエヴァではあまり出てこなかった優しさが破では多く出ていて暖かった。
ただ、3号機の起動事件が失敗してからはその思いやりの輪は崩壊し、ゼルエル襲来で危機に至る。絶望的な状況の中でシンジは自分は初号機のパイロットだと叫びレイを助ける。レイを救うために世界すら犠牲にするシンジの選択は、他の誰でもない存在のレイへの思いやりがあってよかったですね。

こうして感想を書いてみてから気づいたが、破が面白いのは既存のエヴァを破壊したからだなと感じた。アニメではゼルエル戦後のシンジは初号機のLCLと同化して自らを消し去ってしまったが、破では世界ごと破壊してレイを助ける。
もちろん世界を破壊したからQ以後では旧劇みたいな状況になってしまっている。このデカすぎるちゃぶ台返しがあるからこそ、各登場人物の思いやりをどれだけ積み重ねても良く、シンジもアスカもどことなく人間性が成熟しているように見える。
この後のめちゃくちゃに壊れてしまってからの世界は、旧劇の自己解剖も踏まえたストーリーになると思うが、Qも楽しみですね。ほんとシンジ君には頑張ってほしい。

断絶への航海

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J・P・ホーガンのSF小説
数十年前に植民のために出発した惑星ケイロンに、第二の植民船メイフラワーⅡが到着するもの。先に植民先で独自に文明を発達させたケイロン人は、地球人類とは全く違う社会を構築していた。同じ人類同士であるもののファーストコンタクトやユートピア要素の強い作品。

まず読み切った感想は「ホーガンもこういう本を書くんだな」だった。ホーガンは科学技術の進歩に期待し、人間の善性を信頼している作家だと思っていたので、政治闘争のような作品が出るとホーガンも架空戦記みたいな作品書いているのね、とつい思ってしまった。

さて、ここまでケイロン人は現行人類とは違いと書いているが、特徴は貨幣を使っていないことだ。彼らが物を買うときもサービスを受ける時も金銭を必要としない。自由に物を採り、自由に他人にお願いできる。宇宙船の中で何不自由なく豊かな物資と技術を持ったケイロン人は、お互いの敬意をやり取りして生活している。ここで支払うものは自らの能力であり、他人に奉仕しあってケイロン人の社会は成り立っている。

戦争が過熱して星外に権力を求める様子は悲しくも現代情勢と重なって見えて、本来カリカチュアのきつい人物造形も笑えないなと思えないまま読み切ってしまった。

ガジェット要素は薄かったのでSFとしては微妙だったな。

 

今週の感想

2025週報の感想と来年の抱負

週報、今年は遅くなったのねーが常態化した年だった。そのせいで2025年ベスト○○なんてものをやりたかったけど全くできずに終了してしまった……2025年から始めたし書ききっただけで御の字だろうと甘えもありつつ、来年は短くてもいいから遅れずに書きたいわね。

ただそうなると、この映画は一言で言い切るなら〇〇だな、なんて感想を観ている間に下す、可能性を縮めるような読みになってしまいそうで嫌すね~という不安もある。できるかぎり作品は自分の中で存在し続けていてほしいと願いがあり、エンタメなんだから雑に消費しても構わないという油断がないようにしていきたい。

週報 2025-50週目

朝日が差し込むと、夜のあいだ実像を持っていた美少女も消えてしまって、残酷に部屋の壁や床や本棚を映し出す。

今週見たもの読んだもの

ズートピア2

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まぁなんとかなるでしょうって目論見の中、前作を見ずに2を観る決断。
うーん、やっぱ1を見ておくべきだったなぁ。いや、単体でも面白くはあったんだけども、それは「120分の中で起承転結がついていた」面白さであって、ズートピアの”核心部”をつかめずに終わってしまった感があった。

あらすじは、ズートピアで違法入国した蛇ゲイリーを追っていく刑事もの。しかし、ゲイリーにもどうやら事情はあるようで、兎のジュディと狐のニックはゲイリーを匿いながらズートピアの謎を暴いていく。
多様な動物が快適に過ごせるように季候を固定化できる巨大システム「ウェザー・ウォール」を造り上げてズートピアを建国した。しかし、建国の裏ではオオヤマネコが発案者の蛇一族を暗殺・排斥した闇の歴史がある。ただ、蛇の排斥は別にこのズートピアの軸にかからず本当に建国秘話だけに収まっている。スピンオフとか前作補完の立ち位置が強く、1を見てから来るべきだったなと思いましたね……周りの前作を見た人の熱量は高いのでなおさらね……

ただ物語単品としてはやっぱり面白い。にわかに陰謀だったものが明るみになっていくストーリーテリングはどう調理しても美味しく見えるもので、陰謀論インフルエンサーの発言がそのまま事実だったとわかるのは面白いものですね。昔なら胡散臭い事情通がする立ち回りが、そのまま陰謀論者にスライドしているのに時代を感じますね。こういうキャラは事実を言わせても嘘を言わせてもフックになるのがズルいところ。
悪役の動機が主人公と全く同じなのも良かったですね。権力者一族でも落ちこぼれだったオオヤマネコのパウバートは「手柄を立てて自分の存在を認めさせてやる」という動機のもと独断で蛇に近づいて行く。「手柄をたてて一人前の警官として自分を認めさせたい」と完全に共通する部分に主人公と悪役の人間らしさがあって個人的に良かったですね。

見た触感が日本の深夜アニメに近く、意外だな~と思いながら見てましたね。平たい言い方になってしまうが、ジュディとニックのバディ的やりとりがどうしても関係性と見えてしまう。にしても、会話が日本アニメっぽすぎるんだよなぁ。

あとは映画以外に感想になるが、広告すごかったな。数カ月前から上映前のマナー講座やカメラ男がズートピア仕様になったりとか、スタッフさんが公開日からケモミミを着けていたのも面白かったな(クリスマスになっても付けてた)

 

今週の感想

習作

「イヤホン」

世界五分前説という仮説を信じるだろうか。
 実は世界は五分前から始まっていて、5分以上前のことはお膳立てされた状態であるという哲学的な仮説で、その反証は今もできてない。世界は記憶と設定で出来た儚いものかもしれない。
 私は作り物の世界だとしても、それは本当だと思う。私の身を左右する環境は本物だと言わざるをえない。こうした私の主義は一つの挫折にある。大学受験だった。
 かつて高校生だった私は五分前仮説を信奉していた。あのニヒリズムな理論と私の性格とが共振していた。一歩引いた私の性格は変化を拒む、臆病な精神が引き起こしたものだったが、私自身はそれを賢いからだと思い込んでいた。事実、文系科目だけで言えば優等生といえる成績に惑わされていたのだろう。
 その「賢い」私は難関大学に受験すると決め込み、失敗した。一応、第二志望は受かっていたが、もはや志望ではなかった。私の滑り止めはそれに合格しうる賢さがある証明をする為だけに、受験したのであり、そこに進学するつもりはさらさらなかった。だから浪人した。あの時の家族の目は忘れない。せっかく合格したのに、と目を細めたまま労ろうと、歪んで微笑む顔の気持ち悪さを想像できるだろうか。
 また春が来て、元の志望校に入ることはできた。一年遅れただけで完全に失敗というわけでもないのだろうが、周りの同級生が現役でいることに辟易した。あのときに無難に第二志望を選んでいれば! 見栄がなかったら私はもっと安穏に過ごせていたのに! 挫折によって世の中だけではなく私にも価値はないものだと悟った。ただ社会や世界、私さえも嘘だとしても、それを繋ぎとめる関係は本物だと考え始めた。だから、5分前に創造されたような、まがい物の世界だとしても、私は本物だと言うだろう。別にあんな仮説、信じてもいないが。 
 だから日常に気を払った。私が住む家に、通う学校に、あいさつする友人に、私と日常とが結びつけられる接点を見出そうとした。だからイヤホンもせず、歩きスマホもしない主義だった。現実との繋がりを断つようだったからだ。通学中の電車から見る風景にも退屈しなかった。空っぽの世界と空っぽの私、何もないもの同士、微かな繋がりが見えることが満足だった。

 私はいつものように家を出て、駅について、電車に乗って、いつものように通学していた。愛すべきいつも通りだった。時間通りに来る電車を迎えては、その時間に愛しく思う。流れゆく風景にいつもの目印を見ては、移動する実感を得る。阪急本線、梅田駅から特急で二駅目の西宮北口駅、十三駅で私は乗り換えをしてから一駅目、 制動に耐えられず私は人の足を踏んでしまった。
「すみません」
 気疲れした中年のサラリーマンの目線は、踏みつけた私の足を辿ってから。私の顔に辿り着いた。それだけだった。表情には怒りや煩わしいといった感情が読めなかった。重力に垂れた頬も、中年太りした腹回りも、無気力を示して、感情のようなものは欠落していた。潔癖な無気力と言えば良いだろうか、社会的に許容されるだけの無気力と、それ以外の要素(快活さや慎重さなど)を綺麗に削ぎ落とした表情だった。その目は依然として暗く黒かった。「あなたが長く深淵を覗いていると、深淵もまたあなたを覗き込む」の言葉の通り、その目を覗き込む私は既に深淵に落ちていた。世界に対しての接点を失い、盲者聾者と変りない振る舞いをしていた。暗がりに独り取り残された彼の目は私にも伝染した。
「左のドアーが開きます。ご注意くださーい」
開いた。人がはける。混線していた意識もはけた。降りようとドアに向かうさっきのサラリーマンの横顔にイヤホンがしてあった。白く、太く、ちょうど重病人が鼻につけるチューブのような感じだった。病人はチューブを通じて栄養を摂取する。もしかしすると、無気力という精神の重病のために、彼はイヤホンを通じて感情を摂取しているのではないか。あの日からイヤホンが嫌いになった。虚無の象徴であり、精神の延命装置に見えたからだ。
 あと、あの目に私は悩まされた。虚ろな目。空っぽな目。人間はあそこまで空っぽになれるのだろうか。からっぽの目は私をどう映したのだろう。
 やがてひとつの答えに至った。夜のガラスだった。彼の本質は夜のように冷たくて、何もないのだろう。網膜がガラスの役割を果たし、私を綺麗に映した。彼の心内は綺麗に映すほどに虚無だった。プライドを捨てるほどに価値のない私を! 彼と私の、二つの虚無を忌んだ。

 

 人間の虚無に脅かされた私は芸術に走るようになった。走ったというより逃げたの方が正しいのかもしれない。感情まで失えばどうしようもなくなる焦燥があった。空っぽの自分に、なんでもいいから詰め込めんでおきたかった。小説、音楽、映画、絵画などで埋めた。心に一辺の空白はあってはならない。暇があれば本を読んだ。時間があれば映画を見た。貪った。得た教養より、棚を埋める本の数に私は満足した。
 幼少時代を思い返せば、そこは時間と空間がもつれていた。弟や姉との争いなどの細々とした日常と、お伽話の空想的な事件と、この二つが同じ質感を持つ世界をとして等しく存在した。その等価値の世界へ回帰したかった。かつて見下した空想の世界を取り戻したかった。子供が思い描くような想像にこそ人間らしい中身があるのだろうと信じた。就活という対処せねばならない現実が現れるまで逃避は続いた。
 四年生になり就活を終え、社会人になることが決まった。大学から考えると成功もなく失敗もない、普通の就職先だったが、それでも門出を祝ってくれる教授に私の心は潤った。祝ってくれた事実だけで十分だった。あの目が基準の私にとって嘘でも本当でも、教授と私との人間関係は本物だ。もし、世界が無意識のうちにひっくり返ったとして、きづけるだろうか。私はきづけるとは思えない。
 社会人になってから大学生時代のようには時間に自由できなかったが、芸術を貪るには足りた。活力は必要に応じて生まれる。運動部の快活は人格から来ているではなく、そうする必要があったからに過ぎない。逃避のために生まれる活力は尋常ではなく、むしろ資金十全になった分もっと懸命に縋るようになった。
 同じくして、小説や音楽などの手法を勉強するようにもなった。
 精神の修養というものは時間を要する。筋肉の耐久力をつけるためには、繰り返し繰り返しトレーニングをするように、精神の耐久力を高めるに何度も何か摂取する必要がある。その繰り返しの間に、会社の研修期間を終え、八年も過ぎてしまった。

 

 八年も過ぎると、肌は弛み、筋肉も潜んだ。私は肉体の衰えを時間の経過と捉えて悲しみはしなかった。その分鋭敏になった私の感性に満足した。名作が私の心を強烈に削る砥石の役割を果たした。磨かれた私の心は鏡のように現実を映した。その虚像は比喩で象られていた。芸術という毒は私の目を蝕み、なにかに喩えてみずにはいられなかった。私は現実の柔軟性に喜んでいた。現実を抽象し、本質を比喩で表された世界を「本質の世界」と呼んで、私は楽しんだ。
 二つの世界を自由に往来できる空想家の私は気楽にそれを楽しむようになった。まずは卸しやすい空想物である、ディストピアものや吸血鬼といった抽象物を限りなく具体性を持たせて見た。現実的な、上司の頭やスーツに具体性を失わせて何らかの象徴物として見ようとした。例えば、ウロボロスという幻想生物は自分の尾を咥え、環となった蛇、竜の事を指す。自己完全性を表し、不老不死の象徴だが、それは純粋なものにはみえず、操作された感性に見えた。完全であるなら、尾を食む必要はない。自らの存在に完全たるものにするために自死を選んだように見えた。
 そうして、世界を分離することに喜ぶ私は、ついに私自身の分解もした。間違いだった。比喩に満ちた私の世界の分解は、スポーツカーの分解と等しく、推進力を失う。一つ一つ切り取られた振る舞いに、発展した想像ではなく、思想の模倣元が現れた。挨拶は『トゥルーマンショー』から、紅茶をありがたく飲むようになったのは『銀河英雄伝説』から、レゾンデートルを求めて癖を数えるようになったのは『風の歌を聴け』から、私の虚無主義も『どうしようもない自尊心』だったことに今更気づいた。
 私は模倣しただけで、独創的なものは私の感性になかった。思春期特有のニヒリズムは世界を否定して、私自身も否定していた。個性をないがしろにして生活していた。世界五分前仮説を信じていた時点で、関係に生きる私のみを信じて、プライベートでの私自身を殺していたのだろう。

 

 今まで嫌っていた大衆音楽を聴くようになった、大衆小説を読むようになった。もう個性を諦めていた。私は社会の中で生きるということに務めた。関係こそが私の証明だった。友人そのものより友人関係を大事して、会社員そのものより、よくいる労働者に努めることが私の役割だと悟った。
 人はある程度、社会に自分を切り売りして日常を送る。社会の一員に徹した私、不特定多数の一人に徹した私の方が、高校生の自分よりも友人が多いことに悔しく思った。
 電車に乗る。イヤホンをつける。ブームの流れは速い。怠れば見送ることになる。せっかく追いついたのだからもう周回遅れにはなりたくなかった。
痛い。
足を踏まれた。
幸い靴は汚れていない。
安心した。視線を上げて踏んだ奴の目を見る。若い。感性はこれだけ言って黙った。「左のドアーが開きます。ご注意下さい」
開いた。人がはける。取り残されないように私も続かなければ。

 

週報 2025-49週目

あけましておめでとうございます。
2026年もぼちぼち生きていきたいですね。

週報では2025年が続いているのでなんとか終わらせる。

今週見たもの読んだもの

トリツカレ男

toritsukareotoko-movie.com

 

レイトショーに残ってくれていたので見に行きました。前々から気になっていたが他の映画があって中々観れなかった映画。気になる映画は束でやってくるもの。

一度興味が引かれた物は極めてしまうまで夢中になってしまう男ジュゼッペが、街にやってきた少女ペチカに心惹かれてしまう恋愛もの。ペチカはなにやら悩みがあるようだが、ジュゼッペが今まで身に着けた技(三段跳び、昆虫採集、ねずみ語などなど)を使って解決していく。

物語前半は寓話らしくメルヘンに事件を解決していくが、後半からペチカが悩んでいる原因はどうやら彼女の恩師タタンから返事がないと気づいてから物語はシリアスになっていく。
彼女を元気づけようとタタンと再会させようとするが、タタンは既に亡くなっていると判明する。それでもジュゼッペは彼女を喜ばせようとタタンに成り変わろうとすらする。序盤の”夢中”ともいうべき表現がどんどん”狂気”へと変化していく様が面白かったですね。特に今まで会話できていたネズミのシエロと急に会話ができなくなる描写はかなり恐ろしかったですね。持っていた技能するすら切り離して妄執してしまうトリツカレの執念と、今まで保っていたリアリティラインがいきなり切り替わると観客としても油断ができなくなってしまう。『魔女の宅急便』でもキキがジジと会話できなくなるが、あれとはまた違う恐ろしさがありましたね。*1

あとはとにかくアニメが上手かった。デフォルメ化されたキャラクターがダイナミックに動かす緩急が観ていて飽きなかったですね。自転車や自動車のシーンは凄かったですね。

 

レトリックと詭弁

www.chikumashobo.co.jp

「禁断の議論術講座」なんてキワドイ副題をしているが、内容は詭弁の紹介とそのかわし方を書かれた、至って健全な解説本。週刊誌やコンビニ本なら胡散臭くてさすがに買わないが、お堅いちくま文庫さんもこういう本を出すんだと思いながら買いましたね。余談ですが、皆さんは信頼している出版社はありますか? ジオは新潮・ちくま・河出・平凡社のあたり。特に平凡社が一歩抜きんでてるイメージはありますね。

なんだかんだ面白かったです。

困っていた場面を逃れたり、やり過ごせる場面が増えました。
たとえば、ある全体を肯定してしまったが故に特殊な一部も肯定せざるをえなくなってしまったり、尺度の違う価値化で二元化させようとしてきたり、口の上手い人はいろんな事をやっているから気づけるようになろう、いう事例紹介本だった。
今までは「もう何も言えないです反論ございません状態」から「言えないような状況にさせられてる~ってそれ極論じゃないですか」と思えるようになったり、言い方の問題だと論点のすり替えができたりと、何かと助かる場面も多い本だったね。

まぁ、もちろん助かるのは会話上だけで現実上の問題を解決できるかは自分次第なのですがね……

 

今週の感想

冬の到来

12月にもなると寒さも厳しくなり冬が来たと実感する。やっぱり冬はいい。大好きですね。
夏と違って冬という季節は内向的なところがいい。
みんな厚着になって部屋に籠もってめいめい過ごすところがいい。夏の人懐っこい太陽がじりじりと照り付け、汗で輪郭もふやけてしまいそうな暑さがないところが良い。
存在を奪うような寒さにじっと耐えるようにしている冬の方がなんだか好みだ。

*1:ここからは自分語りになるから、脚注で書くが、自分の中にクリティカルヒットがない作品だったな。充分面白いと言える要素はあったものの、心の中にこの作品が入る要素がなくて感想を書こうにもどうも本心からかけていない不安がある。それはこの映画が恋愛映画だからなのか、それとも自分が何かにトリツカレた経験がないのかわかっていない。