よいしょって言うための気合溜めをする。ターンエンド
今週見たもの読んだもの
『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』
前日譚のEVANGELION:3.0(-46h)劇場版とEVANGELION:3.0(-120min.)が同時上映で流れていた。復刻上映ゆえに特典映像も全部見れるのは嬉しいところ。
ついに問題作が来たな、と思いつつ見に行ったが面白かったですね。破から間を置かずに見れたので割とシンジくんの心情が見えやすく、連続公開の良さがあった上映だった。
あらすじは世界と綾波を天秤に載せて、シンジは綾波を選んだ。結果、世界はニアサードインパクトで赤く染まり、14年ぶりに目覚めたシンジは早速拘束されてしまう。そこで謎の少年渚カヲルと遭遇する。カヲルとの交流で立ち直ったシンジは、ニアサードインパクトから世界を元に戻すために再度エヴァに搭乗する。
Qは観客を置き去りして終幕するが、それは旧劇を語りなおそうとした制作陣の律義さが原因じゃないかとジオは感じている。精神が限界になったシンジや赤く荒廃した世界など旧劇との共通点は多いものの、その精神描写を省いていることで、結果だけが映像として出力され、シンジは訳もわからないまま振り回され、存在を認めてもらおうと奔走して友人のカヲルを失う、空回りした人間になってしまった。
では、Qは全て空回りになった空虚な作品なのかと言われたら、否定できない。そうかもしれない。Qの公開は旧劇から大体14年だ*1。Qの登場人物も全員年を取っている。管理職になったマヤやアオバ、ゲンドウみたいに押し黙るミサト、そして次の世代の北上ミドリや鈴原サクラが登場し、彼らの価値観で話している。彼らの登場は第三者の登場であり、セカイ系が排除しつづけていた「社会」を導入しているようにも感じる。(「主人公達の行動・心理・関係性が、本来ある筈の中間領域である『社会』をすっとばして、そのまま上位領域たる『世界』の在り様や命運を決定する」pixiv百科事典「セカイ系」から引用(2026/3/1時点))
旧劇のテーゼ「現実に帰れ」が、今ままでエヴァとは違ったベクトルで観客を刺しに来ている。我々と同じようにシンジは世界を変えられないまま残酷にあり続ける。シンエヴァでは現実の異なる側面がやって来るのだが、それはまた今度に。
畠山丑雄「叫び」
174回芥川賞の受賞作。芥川賞は時世を象徴する作品が受賞しやすく、万博関連の作品が受賞したことで2025年といえば万博の年だったな、という実感がジオの懐に落ち込んだ。
茨木市の職員として生活する早野は、生活保護の先生とよばれる老人から薫陶を受け、郷土史が彼の趣味にな汰。趣味を続けているうちに一人の女性しおりと交友関係ができ、彼女と万博へデートへ行くことになる。
主人公の舞台は2025年現代が舞台だ。しかし、壮大な歴史のエピソードが詳細に説明されていくうちに、1930年代の青年川又幹朗と密接にかかわり、主人公へ憑依していく。過去と現代が一つに溶け合ってような語り口が面白かった作品だった。
今週の感想
ジム
友人の誘いでジムへ加入。こういう機会があるだけで嬉しいものですね。
1月中頃に加入したのでもう1か月経つが、早くもジムねぇ、、、になってきている。なんか在籍してるだけで基礎代謝+1000calとかなったらいいな。自分の怠惰さを直視してる今この時でございますよ。*2
ジム……なんていうか、こう手触りが面白いな、という部分がある。
例えば実存的な部分だったり、存在的な部分だったり。
実存部分は自分の肉体の確かさだ、過去のブログで筋肉通があると実存的な悩みがなくなると書いたが、実際スクワットで下半身が猛烈に痛い時は何かを気にする余裕なんてない、変な処理ばかりしたがる自分の脳には負担をかけた方がいい。
存在部分については、ウェイトの存在感の確かさだ。人類なんて少し時間がたてば老いさらばえる。一方、ダンベルやシャフトには数百年経ってもそのままであり続ける確かさがある。そして重量が定量的なのもいい。5kg10kgと、行儀よく存在している感がある、自分もこれぐらいきちんと存在したいっすね~と、ついつい?思ってしまう*3。