8割書き上がった所でPCがフリーズして
泣き泣き泣き怒り怒り怒り泣く
今週見たもの読んだもの
8番出口
exit8-movie.toho.co.jp
あのインディーズゲーが映画化したので観に行きました。映画化までするって凄いねぇ。
和製キューブリックみたいな映画だった。要所要所にキューブリックの要素(津波やクラシック、地下通路のシンメトリーなどなど)を感じた。
とにかく演出が引き締まっていて良かった。こういう邦画が増えてほしいな。観客を置いていくことをヨシとしない邦画は説明が過剰になってしまう悪癖があるが、今作はくどい明示はせずに進んでいく*1。約90分の間の随所に引き算の映像美が構成されている。原作は8番出口に向かってただ歩くだけの”説明しない点”を異質さとして表していた所をリスペクトしていたのかもしれない。(ただその分、演者に邦画臭さを感じてしまった。主演助演の感情表現は大味で説明的で共感できなかったな。ジオも癇癪を起こしたように急にキレたり、表情筋を全て引きつらせたように泣いたりしたほうがいいんですかね)
しかし、ただ歩くだけじゃあ映画にならないので、映画化に伴って設定がいろいろ追加されている。
派遣で食いつなぐ主人公は疲れた生活をしている。その通勤中、冷え切った恋人から妊娠を告げられる。出産か中絶かを迷っているうちに異界──8番出口──に遭遇してしまう。8番出口に向かって彷徨っているうちに子供と出会うが、どうもその子供は主人公の子供だとが明示される。洪水の異変に遭遇した主人公は、子供を助けようと看板の上に押し上げ、自らは押し流される。目覚めた主人公は再度歩き始め、8番出口に到着、異界から抜け出して終了する。
何度も何度も繰り返す地下鉄のループのことを生活だとすると、子供は未来だと捉えられる。未来に出会った主人公は、これからに期待を感じて異界から脱出をする。未来への兆しを見た主人公は、物語冒頭で見て見ぬふりをしていた赤ん坊にマジギレするサラリーマンに注意するところで幕が切れる。
ジオも繰り返される日々の中で希望を持って生活をしていきたいものです……
hic-dragon-movie.jp
チャララチャチャチャチャ チャチャチャ(例のBGMで踊るジオ)
インターネットミームでよく見るドラゴンに会いに行きました。しっかりと児童作品をしていて良かった。
てっきりドラゴンとほのぼのする児童作品だろうなと油断していたらシリアスしていて意外でしたね。竜を狩ることが全てのバイキングの世界で竜に乗る少年の話。
昔からドラゴンを狩ることを夢見ていた主人公のヒックは非力でずっと活躍できないせいで仲間から足手まといの扱いを受けていた。ある日1匹のドラゴントゥースと出会い、通い続ける内に本来敵同士のヒックとトゥースは心を通わせていく。ヒックは竜を知ることでドラゴン狩りの学校の成績も上がっていく。
しかし、トゥースとの密会がバイキングの長にバレてしまう。トゥースから竜の巣の場所を引き出した長は、竜を根絶させようと討伐に向う。竜との共存を信じているヒックは討伐を阻止しようと再度竜に乗ってバイキングを止める、といったもの。
結末では、バイキングを止めることができたもののヒックはトゥースから墜落。片脚を失ってしまう。児童作品とは思えないラストではあるが自分は結構納得していて、これはバイキング世界との融和だと思っている。
バイキングはドラゴンを受け入れるようになった。じゃあヒックはバイキングからどう扱われるのか、となったとき一人前の戦士の証として隻脚になった、脚を失うほどの歴戦の戦士になった、という意味で脚を失った。バイキングの世界と融和できたヒックに良かったなぁと感じる自分がいた。
ジオはバイキングの強さ至上主義にはある種の気持ちよさを感じていた。このバイキングたちはマチズモの煮凝りみたいな存在で、人の話を聞かない、慎重案を弱腰だと言い切る、腕力が全て、など男女問わずストイックさが溢れる世界をしている。彼らの論理は強者の論理なのだが、それゆえ簡潔で分かりやすい世界で生きている。
自分も体育会にいるのに三島とか澁澤龍彦ばかり読んで体育会の水に慣れることはなかったジオとしては、竹を割ったような性格の彼らに自分もまっすぐになりたい、と思っちゃいましたね……
作中で感動したところは「顔に傷をつけて醜くなりたい」という台詞だった。これは同級生のセリフだが、ドラゴンとの戦いを至上だとする世界観が素朴に出ていて感動しました。
今週の感想
月、、、赤いンゴねぇ。9/8は皆既月食でした。
地球の影に隠された月は、赤銅色へと変化する。2025年9月の皆既月食は午前2~3時ごろと深夜であり、 一度仮眠をとって2時ごろに起床。赤い紅い月見をしました。
これだけ紅い月といえば、やっぱりアレをやりたくなりますね。
もちろん東方紅魔郷!
紅魔郷6面背景に描かれた赤い月を見に、紅魔郷を起動。レミリアと対峙しに行くぞ。

本物の月はもっと暗く鈍いオレンジ色をしていた。*2
久々にプレイしてみたけど、初期の会話は霊夢もボスも辛辣で衒学的ですね。この頃の会話は意味不明だと言われているが自分は好きだな、よく分からなくて。
いつも錦上京でボコボコにされているからか、紅魔郷の弾幕がシンプルに見えて楽にクリアできた。紅魔郷はボスの体力も少ないし、弾幕もわかりやすくてプレイしていてかなり楽しい。
自我持ちたいのねって話
うお~~〜〜〜泣
自我がないと周りからよく言われております!!!
そう言われるたびに、本気で駄々をこねたり、全力で地団駄を踏んで、自我の根源を見せつけてやるからな、と思いながら過ごしているジオです。
とはいうものの、自己主張を全くできていないのも事実。何か現実問題がやってきても「何でも大丈夫っすよ〜」と言いながらへなへな生きてる自分に自我があるのかは疑わしい……自我、持ちたいですねえ!*3
もし自我を現実問題や人間関係を解決できる意志だと仮定しよう。それなら、問題を見つける意識とそれを主張する意識の二つがあればいいはずだ。
問題を見つける意識については、普通の人間が持つべき注意力を何処かに忘れてしまったジオは何かあっても見逃すし、感じていても覚えていないなんてこともある。ブログをつけて9カ月、自分のスタンスは徐々に固まりつつのを感じてはいるので後は現実との差異を見つけるだけだ。
そして、それを主張するには自分への信頼が必要だ。自分の持つ根拠や判断に自信を持っていることが前提になる。が、ジオは自分でも想定しないミスをするせいで、自分のうっかりが津波となって自分の意志・計画・希望を押し流している。定期的にグランドゼロ状態になるので、自分がどう思うかよりも現状を見ていた方がずっと正確で楽なんだよな。といったわけで、ずっと今、今、今ばっかり見てしまう。
ついつい反省文になってしまったが、ここからはどう改善していくかなのだが、どうしようね。
現実感覚と自信を持つには……やっぱり天竜川ナコン*4や「すばらしい新世界」のジョンみたいに苦痛をあえて自分から引き受けて、自分の選択を全身で受け止められるようになるべきで、その時感じた感情やリアリティを積上げて自分の現実ってやつを掴み取りたいですね。